- なにかを決定するとき、人は判断か決断をする。
- すべてを客観的な事実に基づいて決定(判断)出来ればいいがそうはいかない。そういうときはなんらかの価値観に基づいた決断をするしかない。
- 決断は、完全に客観的ではない。なぜならそれは決断する人が信じている価値観を元に決断されるから。客観的な事実を考慮することはあっても、価値観が違えば決断も変わりうる。
- 例えば、人事評価は決断であると思う。なるべく客観的な事実に基づく判断に寄せたいと思ってるだろうが、行動や結果の善し悪しを客観的な事実だけで判断することは出来ない。ソフトウェアエンジニアの場合は、開発によって売り上げは上がったが保守性は下がった実装の場合、良いとするか悪いとするかは評価者の価値観による。
- 説明責任という言葉がある。自らの行動や決定について、他者に対して明確に説明する責任である。説明責任と言われるとすべて客観的にみてもおかしくないように説明可能でなければならないと思えてしまうが、完全に客観的ではない決断についても説明責任は発生する。
- 決断の説明は、自分や共有された価値観に基づいて決めたこと・価値観との整合性を伝えるのが重要だと思う。
- 決断の説明は、共有された価値観との整合性に大きなズレがなければ受け入れられる。
- 一方で、価値観が組織の共通認識になっていない場合は、価値観の説明からする必要があったり客観的に説明しようとしたりして、説明コストが大きくなり決断しにくくなったり進まなくなっていく。
- 日々、価値観という思想を共有出来ていれば、決断の説明は楽になり容易に説明責任を果たせて、より素早い決断と実行が行えるようになっていくのではないかと思う。
o3に間主観性という言葉を教えてもらった。
間主観性(カンシュカンセイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
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